ロジストの路地街めぐり

路地にうごめく森羅万象に寄り添ってみたい。

八丁堀・茅場町(2012年12月)

前回は築地・新富町でしたので、その続きで、八丁堀から茅場町を経由して蛎殻町まで歩いてきました。今回の第一の目的は、八丁堀の今を確認することです。まず、八丁堀跡の確認です。八丁堀は、京橋川と楓川(現在は両方とも高速道路)の合流地点から亀島川までの、約900mです。今は公園やポンプ所など、公的な施設になっていますが、川端に集う商いの声や組屋敷の雰囲気をイメージしながら歩きました。合流地点で、埋め立て前の、堀の岸壁を発見できて、来た甲斐がありました。

もうひとつ、江戸時代、奉行所に勤めていた与力や同心が住んでいた組屋敷が八丁堀にありましたので、八丁堀といえば、彼らの通称でした。江戸の娘達の憧れの的が、「与力・力士・火消し」でしたので、与力はすごくモテたようです。テレビドラマの必殺シリーズに出てくる中村主水のように、母と妻にいびられるばかりの男ではなかったようです。

八丁堀の界隈に、与力は300~500坪、同心でも100坪くらいを拝領していたそうです。今でいえば、東京駅に徒歩圏内で、これだけ大きな土地に住めるとは、うらやましい限りです。しかし実際には、生活費を稼ぐため、敷地の一部を、医者や学者に貸していました。明治に入ると、生計がさらに厳しくなったので、細切れにして、たくさんの人に貸したため、この地域の人口密度は過剰になり、資料から計算すると、3人家族が住めるスペースはわずか9坪でした。残念ながら、彼らの住んでいた当時の面影はまったく残っていませんでした。

それよりも興味深いのは、世界一の都市、江戸100万の住民の治安はどのように守られていたのかです。与力は50人、同心が100人、部下の岡引や下引が1000人。電車や車のない時代、これだけの人数で江戸市民の治安を守り、司法や行政まで面倒をみることは不可能です。それをカバーしたのが、町年寄りや名主を中心とした自治組織です。たいがいの問題は自治体の内で解決していましたし、「5人組」や「向こう三軒両隣」の監視の眼が、問題を起こさないしくみとして機能していたようです。

都会の人は、とかく束縛や規則や干渉を嫌いますが、だから犯罪は起こるわけです。そういう意味では、大阪的なプライバシー軽視の近所付き合い(失礼)のほうがいいかもしれませんし、江戸のこのしくみも、もっと取り入れるべきかもしれません。(総選挙の公約にはありませんが)

今週末は総選挙です。当日、別に用事があるわけではありませんが、今日、期日前投票に行ってきました。悩んだ末、小選挙区は白紙で出しました。というのは、私の支持する政党の候補者がいませんし、立候補した、どの候補者の公約にも賛成できないし、そもそもウソっぽい顔、オーラのない顔ばかりです。こういう選挙区はどこにでもあると思います。役所やマスコミに言われなくても、投票は国民の権利ですし、権利を行使すれば世の中が良くなる可能性があることは、わかっています。しかし、ベストでなくても、ベターな選択肢を用意してくれないのは、国の不作為にほかなりません。原因は、小選挙区のように小さすぎる単位で選択をさせることにあります。中選挙区制に戻すまでもなく、中小政党でも候補者を出せるくらいの規模にしていただかなければ、国民の選択権を奪うことになります。これは明らかな憲法違反です。私の知る限り、このような指摘をしている人がいませんでしたので、ついでに触れました。

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霊岸島にかかる南高橋のふもと。祠だけの徳船稲荷。神はあらゆるものに宿り、その数は無数にある、とはしかり





正面の岸壁の辺りに八丁堀が流れ込んでいた
八丁堀跡の緑地。川筋をたどる旅にでてみよう





八丁堀の旅は、わずか900m。手前から流れてきて、今はなき京橋川と楓川に、この地点で合流していた





京華スクエア。この辺りに町奉行の与力・同心の組屋敷があった。
最盛期は銀座以上の繁華街だったというこの通りですが、今は写せません。





江戸時代(1859年)。与力・同心の組屋敷は、現在地表示のある島の左端、八丁堀から島中央の堀までの約33千坪だった





ひび止めも、割れ止めも、みんな同じだね
よほど秘密の話だろうか。路地にはこんな利用法がある





いくら美味しいお菓子でも、製造現場は見ないほうがいいかも
左側はセットバック済みで広くなっている。こうして路地がなくなっていく





路上駐輪すると、こんなになっちゃうよ




銀座の柳の四代目だって。寂しいお姿。人間も三代目が家を潰すっていうから、まだましか
隣の高速道路から見える、小西酒造の壁面。「白雪」って、わかるかな





兜町鎧橋のふもと。むかしは、株の予想小屋がたくさんあったそうな
銀行発祥の地、現在はみずほ銀行。でも、普通すぎて、昔の絵を拝借(第一銀行)





兜町の守護神、兜神社。縁はないけどお参りしてみました





ビルの解体でも大変なのに、原発となると途方もない。トイレなきマンションに住める人は誰ですか





四方を掘割で囲まれた有馬家下屋敷跡(約27千坪)は、水天宮と公園と小学校になっていた
足裏は第二の心臓と言われるくらいだから、これ毎日やれば心臓に毛が生えて強くなるかも





「恐れ入谷の鬼子母神」と並び、「情け有馬の水天宮」が、江戸庶民の間で最も流った言葉遊びだったそうだ





ほとんどの高速道路は川を潰して作っている。この浜町川もそう
名前かっこよくない?

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