ロジストの路地街めぐり

路地にうごめく森羅万象に寄り添ってみたい。

赤羽って、東京?埼玉? (2015.10)

「赤羽は埼玉県」疑惑がなかなか消えません。あまたの都市伝説より現実味を帯びています。東京の(失礼)池袋駅まで乗り換えなしで9分、乗り換えのあるお台場だと50分かかります。一方、最寄りの埼玉県川口駅まではわずか3分、浦和駅でも8分です。交通面では、限りなく埼玉に近い東京ということでしょうか。

それでは、文化的にはどうでしょうか。学生の頃、赤羽といえば「ノム、ウツ、カウ」の街でした。赤羽に遊びに行ってきたといえば、悪さをしてきたということであり、ある意味、友達からは一目置かれました。今はどうなっているのでしょう。これはもう、行ってみるしかありません。

赤羽ナウは、エキナカも駅前も、思ったより明るくて、大手スーパーや商店街も充実していて、一見フツーに賑やかで便利そうです。しかし、目が慣れてくると、どうも違和感がでてきます。何がどうかというよりも、空気感?ヤボ?う~ん、セクシーじゃない?残念ながら、地方都市の駅前という枠から抜け出られていない感じ、ですかね。

東口の飲み屋街は戦後のヤミ市っぽさが残っていて、風情はあるのですが、道が広くてきれいになり過ぎていけません。そのわりに、どのお店も意外性がありません。飲み屋街に隣接するのが小学校というのもいけません。例えば、吉祥寺駅前のハモニカ横丁には人ひとり通れるくらいの路地に100くらいの店がありますが、ただ古いというのではなく、とんがっている店がたくさんあって、とにかくオシャレです。もう少し赤羽らしさを前面に出せたらいいのにと思います。なかで、健闘していたのが立ち食いの「おでんや」さん。NHKのドキュメント番組で特集されたせいか、平日の昼間からたくさんのお客が来ていました。もうカメラは入らないのに。

今回の一番の目的が赤羽台団地と桐ヶ丘団地です。赤羽駅の西口の山を登ったところにあります。赤羽は山地と窪地が入り組んでいて、とにかく健脚でないと住めません。そんなところに、築60年を過ぎた団地がひろがっています。

この団地の目玉のひとつは「スターハウス」です。星形をしたユニークな建物ですが、さすがに老朽化が進み、ほとんどが解体されていました。来年には残っていないかもしれません。昔の姉歯事件や今の傾きマンション事件など、手抜き建築がまかり通る時代とは違って、60年も無事がんばったのですから、建て替えも仕方ないでしょう。

まだ建て替えが進んでいない桐ヶ丘団地にはショックを受けました。「団地族」がステータスだった頃、ここに住んでいた人たちは憧れの的でした。それがいま、時代の波に乗り遅れてしまったのか、まるで時間の流れがここだけ止まってしまっているように感じます。陸の孤島にある巨大な団地の衣食住を支える商店街はほとんどがシャッターで閉ざされ、赤錆の臭いが鼻をつきます。大きな公園は遊具が雑草に覆われてしまい、子供の声はなく、カラスの声ばかりが耳をつきます。これが誰もが憧れた団地の未来の姿だとしたら、「団地」というもののあるべき姿に疑問符を付けざるをえません。こうしている間にも、全国各地に団地は誕生しています。少なくても3世代に継承されていくような住宅のあり方を一から考えてみるべきではないかと思った一日でした。

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赤羽台団地名物「スタ​ーハウス」は徐々に解​体中。もう隣まで新し​い建物が迫っている




スターハウスの中。縦​に長いトライアングル​は、音も縦に伝わって​いく




ツタのからまる建物は​美しいが、生命力が強​すぎて閉口する。とい​って、取り除くのは一​苦労。痕の汚さも半端​じゃない。タトゥに似​ている




新しい団地の1階。オ​シャレで公営団地には​みえない。意外に若者​が多いのもうなづける




隣接する幼稚園の日照​を確保するために、団​地建物の高さを制限し​ているという。至れり​尽くせり




新しい道も最新技術の​おかげで、歩きやすい​。ただ、税金の使い方​として、都営団地にこ​こまでやるのはどうだ​ろうか




築60年の桐ヶ丘団地​は、すべてが高齢期に​入っているようだ。ま​るで時間の流れが止ま​っているように




壁の利用法。立てかけ​る、寄りかかる、暑さ​寒さを避ける、かくれ​んぼ、逆立ちする、ツ​タを這わす、汚いもの​を隠す、盗聴する、壁​ドンする・・・。どん​なものでも、活かし方​はあるものだ




広大な桐ヶ丘中央公園​は、遊具も歩道も雑草​で覆われている。もう​人間には開放していな​いよと、言われている​ようだ




区立桐ヶ丘プール。こ​の団地を歩いていると​、団地ってなに?と考​えさせられる




シャッターも赤茶けて​しまった桐ヶ丘中央商​店街。秋風が通り抜け​るだけ




「責任をもつ」と言わ​れても、店は開いてい​ないし。責任感をどう​保証するかは難しい




バス便しかない陸の孤​島が都内にまだ残って​いる。東京=都会では​ない。「東京の田舎」​とのギャップはかなり​ありそうだ]




軍都赤羽には陸軍施設​が多かった。あちこち​にこういう軍用線路跡​がある。再び軍用線路​にならないでほしい




羽のシルエットがむち​ゃくちゃセクシー。う​~ん、地味すぎる




「赤羽は埼玉県」疑惑​があるが、既に認めて​しまったお店がある




午後になってもまだ寝​ている商店街。駅前の​雑踏がウソのよう




NHK番組で特集されたから?この立ち食店だけは、お客が引きもきらない。良し悪しは別にして、映像は活字より強し




道端で解体作業するお​店の人。赤羽駅前には​、生活そのものがある




赤羽臭のただよう店。​赤羽愛にあふれている​。抱かれてもいい




駅前商店街の道が公認​の無料駐輪場になって​いる。しかもロック式​じゃない。都会ではあ​りえない




ずっと「プロマイド」​だと思っていたけど、​いつしか「ブロマイド​」が正しいことを知っ​た。でもみんなは「プ​ロマイド」と言うから​、いまだに「ブロマイ​ド」と言えない。結局​は大衆に認められた方​が正しい




珍しい3階建てアーケ​ード街。開放感あって​いい




自分の影に怯えている​子供を見て笑っている​大人たちよ、もっと自​分の影を見るほうがい​い。影は主の上辺の影​でなく、心の影を映す​ことがあるから




首を自在に動かせるカ​メがうらやましい。最​近は首が回らない




赤羽。思った以上に起​伏が激しかった。いつ​も平坦な地図にだまさ​れる


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  1. 2015/10/21(水) 10:26:41|
  2. 北区
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王子・西ヶ原(2012年9月)

今回は王子から西ヶ原を通って駒込まで歩きました。9月に入ったのに、朝から蒸し暑い日でした。まず王子駅前のさくら新道を訪れました。今年1月にさくら新道の飲み屋街が火災に遭ったあと、どうなったか気になっていましたが、今に至っても焼けたままの姿でした。成仏もさせてもらえません。なんとも悲しいことです。放置プレイのあとの9月、ちょうど業者が解体作業に入ったところでした。やっぱり取り壊しが決まったようです。そんなわけで、今回の写真は、昭和の記録として残しておくことにします。

地震科学館では、神戸と東北と、関東大震災の3つの地震の揺れを体験しました。震度7ではもちろん立っていられません。でも東北地震の5分は例外として、神戸では30秒以内、普通大きな揺れは1分も続きません。それを知っていれば、冷静に対処できるのではないでしょうか。あまりマスコミの過激報道にまどわされず、自分が居そうな場所場所を想定して、身の防ぎ方を練習しておきたいと思います。

西ヶ原には約1.5kmに渡って、4つの商店街が連なっていました。北からふれあい通り商店街・西ヶ原銀座・染井銀座・霜降銀座。いずれにも共通するのは、「下町情緒があふれる商店街」ですが、その実、歩いてみると、商店街の名前が変わると、雰囲気というか、活気がまったく違ってしまうのを実感しました。商店街が一体となって熱心に取り組んでいるところ、お客様大事を実践しているところは、お客の方も気持ちがいいので、自然に集まってくるものですね。

路地探索は、残念ながらワクワクするような発見はありませんでした。昭和が日々遠ざかっているということでしょうか。

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 飛鳥山公園の崖下と王子駅のすき間、息が詰まるような場所に、さくら新道はある




 
2012年1月の火災から8ヶ月経って、やっぱり取り壊すみたい。歴史がまた消える
焼けただれた骨材から眺めると、青空が目にしみる




 
さくら新道にだってハロウィンはやってくる。わらの蝶ネクタイがすごく似合っているよ
これはハロウィンの箒かな?ハリーポッターに出てきたね




 
さくら新道の入口付近にいるお地蔵様。数珠の代わりにネックレス?まあいいか
前の飾りより、窓ガラスのゆがみが面白くて





夏の外仕事の必需品





民家の間から突然出てくる都電。正面から見れるのはここだけみたい





直角に近いカーブ。連結があればもっと迫力出るけど、それでもミラノっぽさは満喫できる
渋澤栄一邸にある居間「晩香廬」。えっ、バンガロー?渋澤先生もダジャレ好き?





当時のまま保存されている旧日光街道の一里塚。渋澤先生の働きがあったそうだ。感謝





地震の科学館で震度7を体験。すごい揺れたけど、家具がないので、もうひとつ恐怖感がわかなかった
もう少したてば、透かし彫りの枯れほおずきに出会えるのに。残念!





北区と豊島区の区境は目立たない路地だった





世界中の飲み物の看板でいっぱいの路地。写真のおじさんとおばさん、だれ?
いいなあ、このレトロ感。教えるのは演歌専門だよね、きっと





右上の2階のドアを作ったわけを知りたいなあ





蔓は壁に沿ってしか伸びないのかな。もし直角にも伸びてきたら怖いと思う





インパクトがあり過ぎて、なんのお店だかまったく覚えていない
ここに子供達が集まるの?もうちょっとなんとかならないかな





坂の多いところだってらくちん
また政治家が言葉遊びをしている





染井銀座には製造販売のお店が多い。まるで技術品評会の会場みたい





ほとんどのお店が小学生たちとコラボしている。地元愛、街起こし、やる気があればあるほど知恵が出る
4つの商店街が連なっているけど、商店街の熱の入れ方がまちまち





どんな由緒ある建物だったんだろう





玉子なの?肉なの?どうもまぎらわしい
らしくないけど、元すし屋だったらしい。どんな使い方でもいい、使い切ってほしい





商店街から入る路地。質屋って儲かるの?それとも資産家が質屋を営むの?

  1. 2012/09/09(日) 00:03:16|
  2. 北区
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滝野川(2012年7月)

武蔵野台地から流れてきた石神井川は、「王子七滝」があったといわれるこのあたりで、台地を下り落ちます。江戸時代には、たくさんの人が避暑や水遊びにやってきて、また、春は桜、秋は紅葉の名所として、茶屋もたつほど賑わっていたそうです。広重の「江戸名所図絵」や馬琴の「南総里見八犬伝」にも登場しています。私も30分くらい休みましたが、ずいぶん涼気を取り入れることができました。

今回は、石神井川のなかでも、滝の名所が多かったことから、別名、滝野川といわれた地域です。それでも、現在の滝野川は、7丁目まであって、かなり広い地域なので、絞って、石神井川沿いと、比較的路地が残っている6丁目と1丁目を中心に自転車で巡りました。結果は、準備不足もあって、いくつかの旧跡を見逃してしまいましたし、撮影した路地も1ヶ所だけでした。すぐまた行けばいいのですが、暑いし、しんどいし、いつになることやら・・・・・。

路地散歩を初めて、まだ半年ですが、既に数百の路地を見てきました。そのうちトップ100をランキングにして掲載しています。現在の100位は50点満点の25点ですが、今後も魅力的な路地に出会うでしょうから、更新するたびに、100位の点数はもっと上がってきます。そういうわけですから、たくさんの路地に出会っても、ある程度の点数が予測できない路地は、残念ながらスルーしている関係で、ブログに載せる路地もだんだん少なくなっています。ただ、路地通、垂涎三尺の京島や北品川など、巡っていないところもたくさんありますから、ランキングはまだまだ変動しそうです。

今回、たまたまふたつの100年企業に出会いました。最近は中国が日本の100年企業に注目をしているそうです。幾多の苦難を乗り越えてきた100年企業が日本には2万社以上もあります。街のお蕎麦屋さんやお煎餅屋さんまで含めれば、10万社を超えます。一方、韓国ではわずか5社、中国でも2年以上続く会社は少ないそうですから、長寿の秘訣を学びたいといったところでしょう。ある日本の老舗企業のトップは、「ここまで続けてこれたのは、経営に一喜一憂しなかったことかもしれません」と言われました。示唆に富んだ言葉ですね。経営に限らず、人生のいろいろな場面で参考になると思います。

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広重の絵で紹介された石神井川(現、滝野川3丁目)。鳥居のある岩屋は1975年まであったという。見たかったぁ





現在の姿がこれ。正面の崖の上から滝が流れていたらしい





都内では珍しいつり橋。石神井川もこのあたりでは渓谷の趣きがある





石神井川の蛇行の名残り。あじさいがよく似合う





おもわず撫でてしまった、ビロードのような苔




 
すっくと立つ近藤勇。JR板橋駅前の墓地
時代は土方歳三ブーム。どこから見ても土方の隣の近藤勇の名前が影になってしまう。首は京都、胴体は三鷹、近藤は浮かばれない




 
JR板橋駅前の噴水池。いいなぁ、こんな使い方。のどかだなぁ
わぁお!おもわず目を伏せてしまった




 
突然出会った、そう、あの、亀の子たわしの本社。ちょうど今年築100年
テレビで見たことがあるけど、けっこう巧みの技が使われている




 
近くの正受院の裏手に滝があったので、どうも「滝不動」への道しるべかもしれない。よくわからない
路地には不釣合いな立派な銭湯




 
いきなり体当たりする車が多いから気をつけてね。ヘルメットをかぶったほうがいいかもよ
2トン車でも横福1.7~2.2mまである。とにかくムリして通るなってことだね




 
ここにもあった、創業100年の店。最近100年企業が注目されている
幼稚園の掲示板に、はやり病の連絡があった。こまやかな気使いがうれしい





路地の質屋を中心に、4本の路地が枝分かれしていた





都電荒川線。乗りながら手の届くところに四季の香りを楽しめるところがいいんだよね

  1. 2012/07/12(木) 12:04:08|
  2. 北区
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十条(2012年6月)

北区十条にある姥ヶ橋は、その昔、北の川口、東の王子への道が交わる要所でした。また、この橋の下には、蛇行しながら都心部を流れる石神井川の支流、稲付川が流れ、農業用水としても地域を潤していました。その稲付川がいまは暗渠となり、「稲付の小径」と名前を改め、生活道路として生き続けています。

今回は自転車で、姥ヶ橋から「稲付の小径」を赤羽駅近くまでぶらぶらしつつ巡り、戻って来て、十条・東十条の駅周辺まで足を伸ばして来ました。電車ではいつ通過したかわからないほど目立たない十条ですが、歩いてみると思いのほか元気な街でした。駅周辺には、十条銀座などいくつかの商店街や、大衆演劇のメッカ、篠原演芸場がありました。

今回もまた生まれて初めて訪れる街でした。北区には、急傾斜地崩壊危険区域に指定されている地域が多いのですが、「稲付の小径」もそのひとつです。両側をかなり険しい崖が迫る狭い谷地を小径がくねくねと走り、時に太く、時に何本も枝分かれして平行に走り、小径から崖を上る道のほとんどは急階段で、小径から分かれる多くの路地は、毛細血管のようにうごめいていました。

今年、路地巡りを始めてあらためて気づきましたが、東京には驚くほどたくさんの山と谷があります。東京都心にはローマと同じ、7つの丘があると言われていますが、実際に歩いてみると、その多さは比較になりません。いささか極端に言えば、江戸から昭和にかけて、東京湾を埋め立てた土地のほかは、平地がないと言っていいほど入りくんでいます。谷地は庶民が住み、路地があり、澱みながら、大きなマグマを創り出しているところなので、これからも楽しみながら探索をしていきます。

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いまは生活道路になっている「稲付の小径」のロードマップ。上は姥ヶ橋、下は赤羽駅




 
今はなき姥ヶ橋の、ふもとにある地蔵尊。雨風をしのげるようになって生活水準は改善された。近くには水車もあったそうな
環七から階段を降りて「稲付の小径」に入ると、すぐに空気が変わった





川の跡だけに蛇行しながら続く小径





この辺りにあった陸軍射撃場時代の名残りっぽい塀。戦後間もない頃こういう形状の塀がそこらじゅうにあったのを思い出した





稲付の小径の両側は急勾配の階段ばかり。これは一番低いほう。でもお年寄りには辛い。気をつけてください





小径沿いに、古いけど趣のある小さな家を発見





伏目がちの猫ってあまり見かけないなぁ





まぼろしの昭和66年。平成になってから、ちっとも平成な世の中にならない。しっかりしろよ、平成!




 
講談社の創始者である野間清治氏の屋敷跡(稲付公園)から稲付の谷を望む
インドと錯覚しそうな、普門院の納骨堂





稲付城跡は戦国時代の山城。迂回しないと自転車では上れない





稲付城(現、静勝寺)を築城した太田道灌の像。戦国大名にありがちな、いかつさが全然ない





植物界にもヤドカリはいる。人間もどんな環境だって生きていけるよ





崖の間を縫うような路地にへばりつくように密集する家々





賑やかな十条銀座は路地の街に囲まれている。誰か水を汲みにでてこないかな





もっと電線が多ければ、すだれのような日陰ができるかも




 
歩いてみてわかった。十条の街には大衆演劇がよく似合う




 
今年の山開き大祭の準備に忙しい十条富士塚
路地奥に井戸みっけ





自衛隊十条駐屯地。東京には思ったよりたくさんの自衛隊や米軍の施設がある





野鳥の森。形は似ていても、個性を磨けば輝いてくるんだね





王子神社には毛髪の祖神が祀られている。もう少し早くお参りしておけばよかった





そば通おすすめの蕎麦屋「まつ屋」(十条駅前)。大人モダンなお店。細いのに腰のあるそばも、たっぷりの湯葉そぼろあんかけも絶品だった



  1. 2012/06/27(水) 23:36:31|
  2. 北区
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田端文士村(2012年4月)

初めての田端です。明治の昔、たくさんの芸術家や芥川龍之介などの執筆家が移り住んで、芸術家村、日本のモンマルトルと呼ばれた町ですが、無知な私は、路地を歩き始めるまで、そのことを知りませんでした。

駅前には文士村記念館なる立派な建物があって、映像や資料で説明してくれました。パンフも充実しているので、地図がなくても、パンフをみながら散策できます。田端は、駅のある東側が谷、駅のすぐ西側が急峻な崖地になっていて、登りきると、上野台地の尾根になり、そこから西に、不忍通りまで下っていくという、起伏に富んだ土地です。

台地の部分は、緑も多く、落ち着いた、いい街でしたが、西側に下るところから、およそ町の半分くらいが大規模な再開発と道路建設で破壊されているところでした。パンフに載っている、歴史的な価値のある場所たちも破壊され、ミニ住宅に姿を変貌しつつあります。文士村記念館の説明と、現実のギャップが激しすぎて、頭が混乱してしまいました。田園調布や松涛など、地域ぐるみで、街の歴史遺産や景観を守っているところはいくらでもあります。田端はなぜそれができないのか、理由はわかりませんが、住人であれば、日々、破壊と変貌を目に焼き付けているわけですから、何か感じていることでしょう。

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田端の路地は陽気で明るい






排他的な路地が多い中で、田端の路地は通る人に優しい






なぜか鼻歌がでてしまう路地





 


カラス避けだろうか、たくさんの手作り風車が塀の上でブルブル音を立てていた

田端の街の1/3が再開発の津波に飲まれつつある。「田端文士村」の名前がむなしい







美しさを兼備した防犯対策など、昔の家作りに学ぶことはたくさんありそうだ







路地の奥の住宅地に突然現れた日枝神社。鳥居の代わりに大きな門がある神社は珍しい







赤紙仁王尊。自分の患部と同じ場所に赤紙を貼ると身代わりになってくれる。

顔に赤紙がない。みなさん顔には相当な自信をお持ちのようで





 


今は暗渠となった谷田川の石橋を保存している

田畑神社にはたくさんの神輿庫がある。祭囃子の音が聞こえてきそう







田端は坂の街。道を行くと階段に出会うことがある







上の坂の石垣をくり貫いたところにちいさなお地蔵さん







意外にも田端には緑があふれている。昔多くの芸術家が住まった意味がわかるような気がする







これでも山手線の駅。見栄をはらないところが好き
  1. 2012/06/03(日) 18:30:18|
  2. 北区
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Author:rojist
東京生まれ東京育ちなのに、知らない東京ばかり。ヒマだし、カメラ買ったし、ボチボチぶらぶら散歩してみようかな。気が向いたときに。

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